だて家アーカイブ  怪談?

 

まだまだ暑い日が続く、

戦後80年の夏

だて家アーカイブ、行きます。

 

私が通っていた小学校は

戦争中、一時野戦病院になりました。

私「小学校と野戦病院、両方やってたの?」

母「もう子供いなかったよ? 私たちも

通ってなかったよ?」

終戦の時小2だった母の

うっすらとした記憶によると

入学して1年くらいで

子供たちは疎開したり避難して、

ほどんどいなくなってしまい、

学校としては機能してない状態

だったようです。

 

母「ちょっと待って。

誰か詳しい人に聞いてみて。

よく覚えていないから。」

 

このあたりに 戦争を経験した人なんて

もう 母っくらいしか残ってないよ?

しっかり資料を探して裏付けを取った

エピソードも重要ですが、

ぼんやりと なんとなく伝えられた

エピソードも これはこれで

大切な気がする。

 

なので、これより 母の80年前の

記憶をそのまま記します。

もちろん、記憶違いもありましょうが、

事実と違っても、「そのように記憶

していた」という所を記録しておきます。

 

野戦病院となったK小学校に、

曾祖母(母にとっての祖母)が

知人のお見舞いに行ったときのこと。

帰りに暗くなってしまい、

怖くて 看護婦さんと連れ立って

二人で帰ってきたそうです。

 

K小学校は丘の上にあり、

坂を下りて行くと 下の低い所に

人魂がふわふわしていたのだそう。

 

母「沢山 兵隊さんが死んだからかな。」

私「うん・・・。あの、ちょっとだけ待って」

 

話のスジとは関係ないんだけど、ちょっといいか?

 

私「野戦病院にいたのは、兵隊なの?」

この辺りは、田舎とはいえ住宅地。

空襲や艦砲射撃にやられた一般人が入ってると

思ってたよ?

母「戦地から返されてきた負傷兵が、

別の地域からもここへ 集めらえたんじゃ

ないかな?・・・

私はそう思ってたけどな・・・」

 

だんだん自信が無くなっきたらしい母。

だいたい、戦場でもないのに野戦病院てな。

母「そういうふうに 言い慣わして

いただけで、本当の名前は別に

あったかもしれん。」

 

どうやら、周りの大人が言いやすく呼んでいたのを

そのまま覚えちゃっただけかもです。

 

なんか、いい加減な話になってしまった・・

戦後、子供たちは よく学校の遊具で遊んでいました。

母「遊ぶものなんで他にないからね~」

ふと気づくと、もうすっかり日が暮れて、

月がこうこうと照っています。

ゆっ ゆうれいが出る

オバケが出る

人魂が出る―

子供たち 慌てて必死に走って

帰ったのものだそう。

 

母「外で遊んでても 月が出てれば

子供の目なら暗くなかった。」

 

昔の夜空はさぞ、奇麗だったでしょう。

月も今より明るかったかもしれません。

私はもはや、銀河を見たこともないですが。

・・・なお、今はK小のあたり、

なんか出る、とか聞きませんので

後輩たちよ 安心してね。

 

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