伊達家アーカイブ   防空壕の話

いつもの散歩コースに、

廃業した旅館が

建っていました。

それが 解体され

更地になっていたので、

次はどんな建物が

建つのか楽しみに

通っていると、


ある日、

ぽっかりと

大穴があいて

いました。

土方のお兄さんが

「防空壕の跡が

出てきちゃったよ~」

今回は

趣向を変えて

母や祖母から聞いた

戦争の思い出話、

伊達家アーカイブです。

防空壕なら

我が家にもありました。

それぞれの家で、

家の下に掘ったり

庭に掘ったりしていた

ようです。

警戒警報や空襲警報が

なると、

みんなで防空壕に

飛び込みました。

母によると、我が家の

一つ目の防空壕は

庭に、廊下からすぐ

飛び込める位置に

掘ってありました。

まだ爆撃が酷くなかった

最初の頃のこと、

こんなことがありました。

警報がなり、

みんな必死で防空壕へ

飛び込みました。

でも、その時は

爆弾は落とされず

警報が解除になって

みんなぼやぼやと

壕から出てきました。

見ると、叔父が一人

廊下にしゃがんで

いるではありませんか。

母の叔父は、壕に

入りそびれて

いたのです。

爆弾は落とされなかった

ものの、

敵機B29は

やって来たというのに。

逃げ遅れた叔父は、

上空のB29に

見つからないように、

ひさしの下に

隠れていたのでした。

もし防空壕まで

走っていたら、

撃たれていたかも

しれません。

B29は

爆弾を落とす

だけでなく、

人を見つけると

機関銃で撃って

くるのです。

母:「ドスッと

撃つんじゃないんだよ。

バラバラって

たくさん連射してくる。」

その後

空襲はどんどん激しくなり、

爆弾もどんどん

落ちるようになって

いきました。
母:「防空壕に入るのが

遅れると、敵機が来ちゃって

入口あたりでバラバラ

撃たれちゃうよ」

叔父さん、

無理に入ろうとしなくて

よかったみたいです。

 

これは、母から聞いた

話です。

これからも

機会を見つけて

聞いていこうと

思います。

またブログに載せる

かもしれません。

よろしく

お付き合いくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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