制作楽屋話  犀が崖と布橋

 

この前、N●Kの大河ドラマ

三方ヶ原の合戦で、

夏目広次が 全部、

持ってきましたね・・・

実際、広次のために

立派な石碑も建っています。

この石碑の向こう、

道を挟んで向かい側に

犀が崖資料館があります。

文字通り、さいががけのほとりに

あって、三方ヶ原の合戦や

遠州大念仏のことが

分かるようになっています。

子供の頃、バスでよくここを

通ったものですが、

怖くて緊張した思い出があります。

なぜかというと・・・

三方ヶ原の合戦で武田に大敗した徳川

命からがら浜松城に逃げ帰ります。

武田は城にまでは攻めてきませんでした。

徳川兵は夜、武田兵に奇襲をかけます。

犀が崖あたりで野営していた部隊を

襲ったのです。

驚いた武田兵、犀が崖に掛かっている橋を

渡って逃げようとしますが、それは

あらかじめ徳川が仕掛けておいた

布の橋だったのです。

武田兵は崖下に転落しました。

武田軍のなかの ほんの一部の兵士に

すぎませんが、徳川が武田に一矢報いた

数少ないエピソードです。

そしてこのあたり一帯を

「布橋」というようになりました。

 

・・・さて、話はここからです。

このことがあって以来、毎夜毎夜、

犀が崖から 苦しそうなうめき声が

聞こえてくるようになりました。

(ぎゃーー 怖っ)

付近の住民も恐ろしがります。

そこで 家康は、「敵とはいえ

哀れなことだ」と、念仏踊りを催しました。

犀が崖は鎮まりました。

これが今に続く遠州大念仏のおこりです。

まあ、念仏踊りで鎮まったとはいえ、

子供の頃の私にとって

犀が崖は 怖い場所だったのです。

 

今は もう大人になってしまったので、

私も平気で犀が崖まで出かけていきます。

そう、取材に行ったのです。

 

絵本「なみこぞう」には、

なみこぞうが太鼓を叩くシーンがあります。

なみこぞうが叩くのは 前のブログでも書いた

「酒井の太鼓」ですが、なみこぞうと一緒に

遠州灘の魚たちにも 太鼓を叩いでもらおうと

思いつきました。

せっかくだから、魚たちに遠州大念仏を

踊らせよう。

これなら 遠州灘の荒波にも負けず、

響き渡ることだろう。

 

念仏踊りは勇壮で、入場の所こそしめやかですが

大勢の若衆が揃いの笠にタスキ、

激しく動き回りながら 太鼓を切ります。

(大念仏では、太鼓は”叩く”にではなく”切る”

と言うそうです)

 

文字で説明するのは難しいです。

ぜひ本物を見てくださいね。

 

今では踊りの流派も増え、毎年7月15日あたりに

(旧盆ですかね)犀が崖資料館で念仏踊りが

奉納されています。

詳しい日にちなどは 資料館に問い合わせてみて

ください。

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