あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
今日は、今の時期になると思い出す、
私の学生時代の話をしますね。
私が中学生の頃です。
英語の宿題の途中、
単語をど忘れしてしまいました。
「一月・・・って、何だっけ」
二月はフェブラリー、三月はマーチ
「一月~ 一月~」
すると背後から
「じゃにわり~」
ギョッとして振り向くと、
そこには
明治生まれの祖母が。
「じゃにわり、と 教わった。」
「どこで」
「女学校!(にやり☆)」
なんと。
話は飛びますが、
私の母のほうは、英語教育を
受けていません。
母は太平洋戦争前生まれ。
英語は適性語でした。
教わるどころではない。
8歳で終戦を迎えるも、
長らく混乱が続いたのか
高校入試に英語は無かった
くらいなのです。
「じゃにわり~」
盲点でした。
母よりずっと前、
戦前も戦前、
第一次大戦前生まれの
祖母のほうが、
英語教育を受けていたのです。
祖母は大正時代には、
セーラー服に自転車で
市立高校に通いました。
(今は共学となりましたが
前は女子高、戦前は女学校
でした。)
明治維新後の まだ
文明開化の余韻が残る
日清日露戦争の
戦勝国日本。
女の子たちは
英語を習っていたのです。
母より上の世代の祖母
のほうが
英語に親しんでるなんで
不思議な感じですが
母の時は 戦争だっから
しかたないですね。
(母は今でもそれを
コンプレックスに
思っていて、
語学番組を欠かさず
見ています。)
しかしながら、
祖母が女学生だった・・・
という しごく当たり前の
事実がピンときませが。
ばあちゃんのセーラー服姿は
想像できません。
孫の英語の宿題を
見てやれる祖母は しかし、
「じゃにわり~」
カタカナ発音を通り越して
ひらがな発音なのでした。