天然のうなぎは 一匹一匹
色も大きさも違います。
育った環境も
捕獲された年齢も違うからです。
考えてみれば
当たり前のことですが
昨日歩いたこの道を
今日は遡って歩いていきます。
たった一日で、
なんと違うことでしょう。
前記ブログの続きですが、
昨日はウナ介を迎えて、
今日は弔い行くのです。
私は不登校になったばかりの頃、
頑張れば明日にでも
学校に行けると思っていました。
でも、行かれない。
どうしても行けない。
・・・行けないのは 自分の
頑張りが足りないせい、
なんで頑張れないんだろう、と
自分を責めていました。
寒い日が続きますね。
こんな時こそ
浜名湖うなぎです。
夏のイメージが強い
うなぎですが、
じつは、冬が旬なのです。
シラスウナギ漁も
クリスマスあたりから
始まるんですよ。
今日はそんなうなぎ・・・
・・ではなく、アサリの話です。
そぼ降る雨の中、刈田が広がり
稲架が延々と続きます。
カラス達が群れて
稲架の上に黒々と
止まっています。
秋の花川は こんな感じ。
稲は刈り取った後
稲架(はさ)に掛けて
干されます。
調べるとこの稲架、
地域によって形が違い
私が見慣れていたものは
東海地方独特のものだと
いうことが分かりました。
こ、これは是非、
絵本に描き入れなければ。
絵本「なみこぞう」には
遠州名物をできるだけ入れるんだから。
そんなわけで 取材に来たのでした。
まず、メジャーで稲架(私の家では
はず、と言っていました。
はさ→はざ→はず と訛っていったらしい)
の、高さ等測ってサイズ感を把握。
稲架の組み方を観察 スケッチ。
ついでにあぜ道の秋草などスケッチして
気が済んで帰りました。
家に帰りついてから
「あれ? 筆入れが・・・無い?!」
さて・・・前ブログの布橋には、
異説もあります。
布橋自体、後世の作り話ではないか
とも言われているのです。
布橋エピソードは 江戸幕府が
開かれて以降に初めて記述が見られ
肝心な浜松時代の記録には
無いのだとか。
この前、N●Kの大河ドラマ
三方ヶ原の合戦で、
夏目広次が 全部、
持ってきましたね・・・
実際、広次のために
立派な石碑も建っています。
この石碑の向こう、
道を挟んで向かい側に
犀が崖資料館があります。
文字通り、さいががけのほとりに
あって、三方ヶ原の合戦や
遠州大念仏のことが
分かるようになっています。
子供の頃、バスでよくここを
通ったものですが、
怖くて緊張した思い出があります。
なぜかというと・・・