ゆっくり楽屋話   不登校の頃

私は不登校になったばかりの頃、

頑張れば明日にでも

学校に行けると思っていました。

 

でも、行かれない。

どうしても行けない。

 

・・・行けないのは 自分の

頑張りが足りないせい、

なんで頑張れないんだろう、と

自分を責めていました。

もう 行ける状態じゃないのを

認めるのが怖くて、

 

「頑張れば行ける」

「頑張ってないだけ」

 

と 思おうとしていたのかも

しれません。

 

でも、中学三年で受験が

迫ってきて、それでも行けなくて、

 

「これは行けない」と

 

認めざるを得なくなりました。

そうすると、

そりゃ落ち込みましたけど、

すこし 静かになりました。

・・・つまり、

頑張れるのに 頑張らないのは

私は何とかしないといけませんが、

頑張れないなら、もう

しょうがないじゃないですか。

 

すると、今 この状態ででも

出来ること、に

目が向くようになったのです。

 

その当時、よく私が周りから

 

言われていたのが

「悪くなるのは一瞬、

良くなるのは薄皮を

剝がすように」

という言葉です。

 

私は中学で弱って、

通信制高校を卒業するまでに

九年かかりました。

こんな感じでしょうか。

 

 

でも最近、本当はこんな感じじゃ

なかったかと思うのです。

 

 

悪くなるのも、本当はゆっくり

悪くなっていったのではと

思うのです。

でも、本人ですら気づかない。

 

相当大変になって、もう

学校に行かれない状態になって

初めて 気づくのです。

そこに至るまでに

長い時間が掛かって

しんどさが積み重なっているのに

気づけなかったのではないかなあ。

 

でも、つい何日か前まで

学校に行けていたのだから

ほんのちょっとの気の持ちようで

また、あっさり 学校にいかれるように

なるんじゃないか、と思っていました。

 

本人でさえ そう思うのです。

 

しかし、心も体も まったく

自分の思い通りになりませんでした。

 

もう ほとほと弱っていて

頑張れない状態だったのだと思います。

 

これに気づけないと

頑張れない自分を自分でも

受け入れることが出来ません。

 

むやみに頑張ろうとして

頑張れない自分を

責め続けてしまいます。

 

とりあえず、私は当時

そんな感じでした。

 

実は、別に今だって

自分がどんな状態かなんて、

ハッキリ 把握しているワケでは

ありません。

でも、

そんなもん、ですよね?

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